小さな子供の頃に持っていた将来の夢、覚えていますか?
10代の頃の夢は?
あなたもこう聞かれることはあったでしょう。
俺もありました。訊ねたこともあります。
今日は、“大人になった俺が目指す将来の夢”の話です。
もちろん、現在進行形ですよ。
目次
・子供の頃 夢はなかった
冒頭と同じ質問ですが、あなたは子供の頃の夢を覚えていますか?
実は、俺は覚えていません。
というよりも、ありませんでした。
子供心に、夢を持てるような心境ではなかったのは覚えています。
子供心に憧れや希望がなかったので仕方がないかもしれません。
将来なりたいもの、うすぼんやりと思いついたのは10代の半ばです。
・中学生時代 姉の死をきっかけに抱いた小説家の夢
俺が13歳の頃、姉が事故で亡くなりました。
姉の死は、俺にとって、家族にとって大きな事件です。
他の記事でも何度か書いていますが、我が家の家庭環境はよくありませんでした。
亡くなった姉は、俺の数少ない、俺と接してくれる理解者。
俺をすごく可愛がってくれて、けっこうモテた自慢の姉。
この姉の死から、俺は“考える行為”に没頭していき、文字通りおかしくなるほど、死や生きる意味、皆に愛された姉ではなく俺が生き残った理由など、考えて考えて考え抜きました。
考える過程で、たくさんの文字を自然と書いている。思考に言葉が追い付かずに、追いつかない言葉では思考が漏れて消えてしまう。消えるのがもったいなくて、消えた先に答えがあった気がして、いつのまにか考えた内容をどんどん書き溜めていった。
これが小説を書き始めたきっかけ。
ただ、これは小難しすぎたんですね。考えている内容を書き溜めていくだけならまだしも、自分自身でも出し切れない“死ぬ意味”“生き残った意味”なんて、中学生にまとめられるわけがない。
この当時、考えた内容をそのまま小説にしようとして、俺は挫折しました。
書けば書くほど、頭の中の形と、紙に浮かんだ文章は剥離していくだけでしたね。
この頃の小説家の夢には、希望が欠けていました。
・10代半ば~20代 擦り切れて失くした夢
姉の死から、家庭の経済状況も大きく変化していきました。
完結に言うと、学校に行っている場合じゃないから、働いたんです。
・・・と、お金を理由にしていますが、姉の死から立ち直れなかった俺は、人と一緒にいられなかったんじゃないかな。今思えば、ですが。
働き始めたけど、仕事なんてできる精神状態ではなく、職を転々としました。
家にお金を入れる必要があるけど、働くのがつらくて職が安定しない。借金をして家にお金を入れて・・・と、どんどん状況は悪化し、毎日に擦り切れ、夢なんてボロ雑巾のように捨てられてしまった。
世間の詳細は知りませんが、俺にとって実家はお金を入れる場所であって、お金を貰う場所ではない。この実態を知ったのは、二十歳を随分過ぎた頃。
24歳の時に、「悲観するだけでは、世の中誰も助けてくれない。心も金も」と、やっと悟る。同時に、自分の人生が正しいのかと言う自問にやっと答えが出た。
「どうせ俺だって確実に死ぬ。死ぬなら自分にできることを全力でやって、死ぬ瞬間に俺の生き方が正しかったかどうか自分で決めよう」と。
結局、借金が片付いたのは、28歳頃。(嫁に出会った時期)
この頃になると、10代から20代半ばまで、死ぬほど考えて考え抜いた癖のおかげで、ネガティブな思考は完全に消え去っていました。
「どれほど悩んで考えても絶対に奇跡は起きない。行動こそが次の扉を拓く」 悩み抜いた15年でやっと出した答え。
・30代 捨てた夢こそ宝物だと気が付いた
20代の終わりに、長年の中卒コンプレックスが邪魔だったので、仕事を辞めて高卒認定試験を受けました。1日7時間程度の勉強を10か月行い、無事合格。
仕事も、派遣で入り→契約社員→正社員へと昇格でき、現在は非常に安定しています。
ここから、小説ともう一度向き合いました。
コンプレックスを解消していく作業に飽きたので、次はレベルアップのみに注力。
マイナス状態をゼロにしていくのがコンプレックスの解消と感じたので、ゼロを1に、1を100にしてやりたい。
この頃、一つの疑問があった。歳を重ねる毎に、楽しいと思う機会が減っている。
働きはじめて、借金を返しはじめ、仕事である程度うまくいき、完済し、高卒認定を取り、コンプレックスは解消されていき・・・?
楽しい瞬間はあっても、どんどんと感覚が薄くなっていく。
大人になるってのは、楽しさを捨てることか? 諦めることか?
こう考えるようになってから、自分の「最高に楽しいもの」を探し始めるまで、そう時間はかかりません。
何が俺にとって最高なのか、色んなものを試してみたけど、なかなかしっくりこない。
ゲームや筋トレがかなり近い候補だけど、一生全力を注ぐに値するかと考えると、それはあてはめられない。趣味として素晴らしいけれど、趣味を越えられない。
そんなある日、ふと気が付いた。
いつも、何かを見ると、俺は癖で文章化している。目の前の事実や自分の考えを、ついつい頭の中に文章で書きだしていた。何かに出会うと、俺ならこういう風にキャラクターを動かす、こういう展開にする、こう最後は・・・と、反射的に常に考える自分。
「なんだ、俺は小説家を諦めていなかったんだな」
ちょうど30歳になった年のことです。
・やっと見つけた楽しむ行為の価値
頭の中で半自動的に行われる文章化は、俺の生活の一部。
無意識に行われていたので、この作業は何の負荷もなく持続されていく。
つまり、続けるのが苦ではない。そして楽しい。
小説を書く行為なら、歳をとっても続けられるし、かつ小説家というわかりやすい目標まで存在する。
30歳にしてやっと見つけました。
随分と昔に、すり減ってボロ雑巾のように打ち捨てられてしまった小説家の夢、久方ぶりに持ち上げてみれば、それは俺にとっての宝物でした。
楽しいってのは、いいことなんですよ。
つらくなるために頑張っている訳じゃない。楽しい毎日を作るために頑張っている。
こう気づいてから、夢の価値にも気が付いた。
俺が、俺の人生を、最高に楽しめる存在。それが夢で、俺の場合は小説家。
損得関係なく、どれだけ労力を注ぎ込んでも惜しくなく、一生やりたいもの。
これに気が付けたのはいいけれど、実は、これだけでは不足。
小説家が俺にとっての夢であるのはわかった。
“楽しい”の純度を上げていこう。で、今が最高純度なのか?
この答えはNO。昼間は会社に行き、空いた時間で小説を書いているだけ。
小説家と名乗るのは自由だけど、小説で飯を食っているわけではない。
それに、楽しいと思うのが自分だけではとうてい満足できない。
どうせなら、最高純度が欲しいんですよね、楽しさの。
最高でなければ、俺にとっての夢とは言えない。
・目指すのはプロ小説家だ!
10代の頃に考えたストーリーやキャラクターも、やっと動き出した。
歳を重ねたので、方向性は大きく変わってきたけど、俺の小説に変わりはない。
今は、年に一本小説を書き上げて賞に送っています。2019年で5回目。
ジャンルはファンタジー。バイクとか車が好きなので、マシンも入った冒険もの。
このジャンルはなかなか適した公募が見つけれらず、間口の広そうなラノベの新人賞に送っています。結果は、電撃小説大賞の一次選考通過・・・まだまだですね。
とりあえず、小説家になるまで諦めないので問題はないですが、ラノベでは編集者の設定する読者層とミスマッチしていそうなので、独自で展開できないかと色々と計画中です。
もちろん、賞狙いは続けながら。
小説を完成させるには、一本500時間前後は必要です。
仕事をしながらこの時間を捻出させるために、任された部署を改革して残業0化しました。時間を作ったけど、それでも足りません、小説家の夢を現実化させるには。
ブログや、ライター業を始めましたが、これも全て小説家のため。
時間はどんどん足りなくなるけど、頑張るのはまだまだこれからです。
なにがどう小説家のためになるのか、これはいつか機会があればまた紹介したいですね。
・最後に一言
小説家の夢、気が付けば随分とこれを見つけるのに遠回りしました。
でも、俺は夢を本気で目指すのに、年齢は関係ないと思っています。
もちろん、環境がそれを許せるように、色んな準備や計画が必要です。
年齢を重ねて、挑戦が難しくなるのは、主に自信を取り巻く環境が大きいでしょう。
逆を言えば、その点をしっかりと見極めて対応できれば、夢を目指せるんです。
人生は一度きり。次があるという証明がないので、俺は全力でいきます。
あなたの夢はなんですか?
一緒に目指しましょう!なんて、無責任なことは言えませんが、かつてその手にあった夢、思い出してみるのもいいですよ。
あなたの宝物だったはずですからね。