ゲーム

後ろめたさのあった「趣味ゲーム」 大人になった今「ゲームは最高の趣味」として俺の人生と共にある

趣味はなに? 好きな物とかは?

こう質問されて、ゲームだよ!と言えず、恥ずかしさのあまり、当たり障りのない「外向きの趣味」で答えたことはありませんか? 

10代と20代前半の俺は、何度もありました。

でも今は即答。ゲームが大好き、と答えられる。

このやりとりに変化が訪れるまで、随分と長い時間がかかりました。

そして、この変化と、俺の人生の変化は全く同じ。

常に俺と一緒にあって、いつの間にか手助けしてくれていたゲーム。

そんなゲームの魅力を、俺の人生の一部と一緒に御覧ください。

中学時代 姉の死 逃げ込んだ先はゲームセンターだった

中学生時代、交通事故で突然亡くなった姉。

受話器が告げたその訃報は、現実味がないくせに、生活の全てを一変させました。

我が家の環境は、決して良いとは言えなかった。

精神的に不安定な父親は暴力的で、俺の命の価値を否定する罵声を毎日浴びせていた。

この悪環境が変わった、消えた罵声。

しかし、その対価が姉の死では、あまりに高すぎた。

色を失い時間が止まったような絶望の中で、ふとしたきっかけで足を踏み入れたのがゲームセンター。

車の騒音が支配する外界とかけ離れた、電子音が支配する別世界。      

興味に突き動かされるままに覗いた筐体の画面の中では、美しいグラフィックで描かれた魅力的なキャラクター達が、縦横無尽に動き回っている。

それが“格闘ゲーム”だった。

見れば格闘ゲームに熱狂した人たちが筐体を囲み、列をなしているではないか。

深い深い絶望の中にいた俺は、外界から隔離されたこの別世界に触れ、あっと言う間に虜になった。

俺を虜にしたのは、SNKより1997年に発売されたThe king of fighters97、通称”KOF97”。

同社SNK発売のゲームタイトルから選ばれた人気キャラクター達が、3対3で戦う大人気格闘ゲーム。

ゲームセンターの喧騒に溶け込むと激しい喪失感は忘れられる……。

隔離された世界に入り浸るには、十分すぎる理由でした。

最初は現実を忘れたい逃避。

けれど、色んな人と対戦し、勝つよりも圧倒的に重ねたのは負け試合。

悔しくて悔しくて、誰よりも練習し努力を積み重ね続け、3年ほどで市内では負けなしにまでなると、ゲームセンターは新たな自分の居場所になり、キャラクター達は自分の分身になっていた。

母と俺に希望の世界を見せてくれたクロノトリガー

母は、俺が生まれる前からの筋金入りゲーマー。

俺がゲームセンターで居場所を見つけた頃、姉を失くした我が家の状況は、実は悪化していた。

父親から俺への直接的な罵声は確かに減った。

しかし、次は“家族への嫉妬”という歪んだ愛情として自体は悪化していく。

母と俺の些細な会話を見ると、息子の俺に対して嫉妬し、恫喝する父。

自分の家にいながら、母子の会話もままならない。

そんな異質な環境下で、俺と母を密かに繋いでくれていたのがゲームの存在。

少し時間を巻き戻しますが、SFCで1995年に発売されたクロノトリガーは最も思い出深い作品です。

スクエアとエニックス、ドラゴンクエストとファイナルファンタジーの2大RPGがタッグを組んで制作。キャラクターデザインはドラゴンボールの鳥山明氏。言わずと知れたスーパーファミコンにおける名作中の名作RPG。

実は、クロノトリガーをプレイしている最中に、姉の訃報が、病院から我が家に届きました。

場面は、32号廃墟、ジョニーとのレース直前で鳴る家の電話。

”特別”なゲームになってしまったクロノトリガーは、1年、2年とプレイされないまま。

さらに月日が過ぎたある日、母がクロノトリガーを進めていました。

父がいない束の間、母がクロノトリガーをプレイする姿は今も目に焼き付いています。

時間を超えたシナリオがクロノトリガーの核。この時、母の時間もやっと流れ始めたんですね。

あまり一緒の時間は取れなかったけれど、セーブデータには俺と母のキャラクターたちが並んでいました。レベルアップし、困難に果敢に立ち向かうキャラクターたち。

あの日、姉の死と共にクロノトリガーのキャタクター達もそのままだった。

プレイを再開したこの時、母は姉の姿と、クロノトリガーのキャラクター達を重ねていたのかもしれません。

プレイする度に、お互いのキャラクターが成長しているのがわかる。

お互いに変化していくのが見える。かけがえのない無言の会話として、クロノトリガーは俺たちの絆をなんとか繋いでくれたのです。

一狩り行こうぜ!で一目ぼれ

俺がすっかり大人になると、この頃には家の状態も落ち着きを取り戻してきました。

2008年3月27日PSPで発売:モンスタハンターP2G(MHP2G)、空前の大ヒット。

一狩り行こうぜ!のフレーズがCMで流れ、流行ったのもこの頃。

当時、俺はすでにいっぱしのハンター。腕には自信あり。

心待ちにしていたMHP2Gがいよいよ発売! 

この頃、一人の女性と出会いました。

少し離れた場所に住んでいたこの女性と、ふとしたきっかけでMHP2Gを遊ぶことに。

賢明な読者の方ならお判りでしょう?

腕に自信があるんです。普通に一狩りいこうぜ!と行く訳がない。

G級古龍相手に裸太刀。大見栄を切って全力で自分の腕を自慢した俺。

格闘ゲームでならした技術で見事(たまたま)にG級クエストをクリア!

「すごいだろ!」と口にはしませんでしたが、にやついた表情でばれていたでしょうね。

こんな恥ずかしい姿を、相手の女性は本当に「かっこいい!」と思ってくれたんです。

この相手こそ、今の嫁です。

そう、俺と嫁はMHP2Gがきっかけで仲良くなったのです。

PTを組んで協力して強敵と戦い狩りをする、モンハンならではの遊び方のおかげかな。

このスタイルは人と人とのコミュケーションツールとしてもとても優秀でした。

俺が生まれる前からの大ベテランゲーマー母、モンハンも守備範囲内。となれば答えは一つ。

俺と彼女(嫁)と母でモンハン!

三人で「一狩り行こうぜ!」と狩りに出かける姿を、この頃の父は許容するようになっていました。

異質な家庭環境だった我が家にも、やっと流れ始めた“普通”という雰囲気。

離れ離れになっていていもおかしくなかった家族の絆を、縁の下の力持ちのように、ゲームはずっと繋いでいてくれたんですね。

20代後半 ゲームセンター終わりの時代

MHP2G発売と時を同じくして、ゲームセンターからは次第に足が遠のいていた。

中学生の頃から数えて、15年ほど経っていたが、嫌いになったわけでも、飽きた訳でもない。

格闘ゲームの人気はとっくに消え去り、ゲームセンターにあったKOFはおろか、格闘ゲーム自体が、そしてゲームセンター自体が次々と姿を消していたんです。

たくさんいた対戦仲間たちと一緒に遊べなくなったのは寂しかった・・・。

ゲームセンターにはたくさんの思い出がある。

0時に閉店した後、隣町の24時間営業店へ場所を移し、朝まで対戦をしてから、翌日東京へ遠征に行く。

他県のゲームセンター遠征で知り合った現地のゲーマーと仲良くなり、俺が大会を企画して店舗対抗戦、打ち上げに朝まで大騒ぎ。ここで仲良くなった相手とタッグを組んで、いくつか大会に出て優勝!なんてこともありました。

嬉しかったし、楽しかったな。

10代の頃、地元のゲームセンターでは、手作りのKOF攻略本を作って店舗に設置させて貰ったり、交流ノートを作ったり、対戦会を企画したりと・・・これも懐かしい。

そんな思いでいっぱいのゲームセンターは、俺の青春そのものだった。

もちろん、ゲームセンターでは人並みに出会いもありました。(当時プリクラ全盛期)

けれど、ゲームセンターにかつての活気はない。田舎なので、それはより顕著だった。

この頃、嫁と付き合い始めていたのもあり「結婚するならゲームセンターも格闘ゲームも卒業だな・・・」と、毎日のように自分に強く言い聞かせていた俺。

格闘ゲームで身に付けたPDCA 仕事で大活躍!

姉の死の直後から、15歳中卒で社会人として働いていた俺は非正規雇用ばかり。

自身の境遇に嘆くのも飽きて来たある日、企業内で耳にタコができるほど謳われているPDCAに対して一つの発見をしました。

PDCAサイクルが、格闘ゲームの対戦で培った俺自身の特技だと気づいたのです。

大好きな格闘ゲームの応用が効くと気づいてからというもの、それまで嫌悪していた仕事への姿勢が一変。

格闘ゲーム=俺の得意分野だ!という自信。この自信の根拠は、今までの十数年間で積み上げて来た強敵たちとの戦いと勝利。そしてそれを支えた毎日の練習でした。

技を当てる、距離を調整する、しかし失敗。想定とは違う場面に即時対応し、対策を実行し続ける。課題は尽きない。様々な局面でのこの流れは、まさにPDCAサイクル。

自分流のPDCAサイクルを実践しつづけ、気づけば派遣社員→準社員→正社員と昇格し、部下を持ち、先輩社員にまでPDCAの教育をするまでになりました。

中卒の俺が、大卒社員にまで教育をする日がくるとは、面白いものです。

そして気が付けば、親会社主催の全国改善発表大会で、子会社単独としては初の優勝!

90チーム以上が参加する大きな大会を制し、壇上でスピーチしていた俺の改善のコツが格闘ゲームで培ったPDCAサイクルとは、誰も予想できるはずもない。

ここで「コツはゲーム。ここで優勝するよりゲームをうまくなるほうが難しいぜ!」なんてスピーチをしなかった俺は本当に偉い。

煽り文句上等の格ゲーマーが、随分と上品に育ったもんだと我ながら感心ですね。

(ここはゲームではなく、穏やかな嫁の影響です)

今もゲームを楽しんでいます

俺の人生に深く関わり続け、そして助けとなり、絆を繋ぎ、希望へ繋いでくれたゲーム。

特に大好きな格闘ゲームは、2017年に再開しました。

数年ぶりに本格的に取り組んだのはストリートファイター5、実はストシリーズはこれがはじめて。このスト5でも、心通わす仲間ができました。

嫁とは、ドラゴンクエスト10をはじめ、地球防衛軍などで今でも仲良くガッツリ遊び、親友とも同じゲームで楽しんでいる。

親友とは、まさかのYouTuberデビュー! まったりのんびりゲームを楽しむ姿を動画にして配信しています。

ゲームセンターで知り合い、20年近い腐れ縁の年の離れた親友が実はもう一人。かなりの変わり者だけど、同じく変わり者でダメ人間だった俺とずっと仲良しで、職場が一緒。これも面白い縁。

ネット内でも素敵な人たちに出会い、このブログをワードプレスで作り直した際、たくさん手助けして貰いました。とても俺1人じゃ無理でした……。この方たちとの出会いも、ゲームなんですよね。

母親は、今でも現役の還暦ゲーマー。FF14大好きな光のお母さんとして活躍中!

ゲームが何かをしてくれるわけではない。でも、ゲームから得られたもの、ゲームで繋げられたものは計り知れない。

俺はゲームが大好きです。

30代が終わり、40代50代になっても、最高の趣味としてゲームをやっていきます。

母親が60代で現役だから、俺もそれ以上はやらないとな。

だって、皆と遊ぶのは本当に楽しいからね。

あたなも、思いっきりゲームを楽しみましょう。

ゲームって、良いもんですよ。